井上理恵の演劇時評

アクセスカウンタ

zoom RSS 安蘭けい主演・小池修一郎作演出「MITSUKO〜愛は国境を越えて〜」(青山劇場)

<<   作成日時 : 2011/06/27 11:49   >>

トラックバック 0 / コメント 0

小池修一郎作・演出、安蘭けい主演「MITSUKO」を観る(2011年6月25日ソワレ)!

小池修一郎の新作という宣伝であったから、舞台を観に行った。小池らしく大きな失敗もなく、アンサンブルという名の群衆(?)をうまく使い舞台を構成。特に光子を演じた安蘭けいと息子リヒャルトの妻で女優のイダ役を演じたAKANE LIVが演技も歌もとてもよかった

 青山光子という明治の牛込生まれの、美しい女性については、すでにかなり前から女性学の領域では知られていて、国際結婚をし海を渡った女性ということで研究されていた。
 
 拙著『ドラマ解読』にいれたのだが、大間知靖子作・演出、吉行和子主演の一人芝居「MITSUKO−ミツコ」の劇評を書いたのは、2006年1月であった。芸術的に彼女の生涯が舞台に乗ったのは初めてで、とても興味深い舞台であった(1993年〜2005年12月まで日本全国やヨーロッパで公演)。
私が観たのは、生誕地牛込でやった最終公演である。近年『クーデンホーフ・光子の生涯』という本が出ている。

 新聞でこの大間知・吉行の「MITSUKO」と今回の小池の「MITSUKO」とを前者を内面を描いたもの、後者を外面として舞台を評し、舞台をみて、はじめて青山光子の存在を知ったという批評が出た。

 女性学では既知のことも、男性研究者には女性学の成果は視野に入らなかったのかと、今更ながらにこの国は遅れていると思わざるを得なかった。男性研究者の仕事であれば、大体すぐに理解されるからだ。

 小池修一郎は、青山光子の一代記を二男リヒャルト――日本名青山栄次郎(増沢望・青年期ジュリアン)の汎ヨーロッパ運動を中心に据えて構成している。結果的には〈光子と息子の話〉ということになった。光子は「ヨーロッパ共同体の母」と呼ばれている。

 光子の話のコア―は、昭憲皇太后に「大和撫子」として世界に恥じぬ生き方をせよ、といわれて海を渡ったことだ。彼女の生き方の根幹にはこれがある。

 幕開き、アメリカにいるリヒャルトのもとに光子の娘オリガ(押さえた演技で好演。俳優の名が分からない――1500円のプログラムを購入しなかった――簡単なプレイビルもなく、本日の演者とかいうペーパーも出ていなかった)の手紙を日本人留学生(これも俳優名不明)から受け取り、母光子の死を知る。全体はリヒャルトが留学生に母の半生を語るという形式になっている。

 ハインリッヒ・クーデンホーフ伯爵(マテ・カマラス)を演じた外国の俳優が日本語がわずかしか話せないために、彼のセリフを最小限にするための方策であろう。増沢がカマラスのセリフを代替する場もあった。が、なかなか上手く構成されていた。カマラスは日本語で歌を歌うが、彼の得意な言語であったら恐らくもっと素敵に歌ったのだろうと推測した。

 牛込の商人の両親(父親の俳優は不明、母は未来優希―たまたま顔を知っていたから分かった―美しい声で歌う)の反対を押し切って、恋愛し、結婚をしてヨーロッパへ渡る。

 実はこのお父さんが、かなりの悪(?)。相当なお金を要求したらしい。この舞台では結納金ということになっているが・・・・・・結婚を許可せず、子供たちは光子の子ということで届けられ、上の子供たちは日本名を持つ。それが青山栄次郎だ。このあたりには触れていない。

 光子は4ヶ国語をマスターしてヨーロッパで生きることが可能になるが、自身の母国語―日本語を子供たちに教えなかった! これは外国で暮らす人間にとってどんなにか辛いことであったと思われる。

 吉行和子のみつこは、そうした哀しみが溢れていた。今回の舞台ではそれがない。

 光子の哀しみは、子供たちが次々と自身の元を立ち去り、唯一残った娘のオリガと二人で最後まで過ごしたことで示されていた。オリガのセリフに「わたしの知らない言葉」のレコードを掛けている母というのがたしかあった(台本未見)。それが二人が日本語ではなしていないことを意味したのだろう・…

 リヒャルト役の増沢は、押さえた演技で好演していたが、歌はもっと稽古したほうがいい。
妻のイダのLIVは、年上の妻という演技も歌も安蘭に負けないくらい良くやっていた! 

 青年時代のジュリアンは、日本語のセリフ表現がまだまだで、初舞台らしいからこれからの修行が重要だろう。歌も綺麗な声を持っているが、ミュージカルの歌は、役の内面に合わせて歌わなければ、筋と乖離する。

 汎ヨーロッパ運動をすることで、多くの犠牲をリヒャルトは強いたと、わたくしには思われる。
それは運動がすべてという男性中心の発想で可能な時代には見過ごされてきたことであった。
が、金銭的な心配もせずに学び、自由に羽ばたけたのは、伯爵家の財産管理をすべて行ってきた母の光子のおかげである。財産管理は大変な事業なのである。

 光子は単なる海外へ行った日本女性ではない。家長として夫の死後、7人の子供を育て、財産管理を行い、戦乱の中を生き抜いてきたのである。そうした視点が欠落していた。まあ、描きようがないのかもしれないが・・…

 リヒャルトに、光子の恩恵をこうむりながら彼女の意見に反して14歳年上の女優と結婚し、彼女の援助も得て世界改革運動へと進む。母と疎遠になったという自身の行為の自己批判が見られたら、なおこの舞台は光ったと思われる。

 一代記というのは、難しい。時間の経過と共に激しい部分のドラマが希薄になるからだ。光子の人生がどのようなものであったのかは、推測するいがいないのだが、彼女の生き方を通して何を私たちに手渡そうとしているのかが、
判然としなかった。

 安蘭けいは、演技も歌も両方できる貴重な女優である。今度はストレートプレイにも挑戦してみたらいいのではないだろうか・・・・ミュージカルは、彼女に並ぶ男優がなかなか存在しないから・・・・・。

 



クーデンホーフ光子伝
鹿島出版会
木村 毅

ユーザレビュー:

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by クーデンホーフ光子伝 の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

月別リンク

安蘭けい主演・小池修一郎作演出「MITSUKO〜愛は国境を越えて〜」(青山劇場) 井上理恵の演劇時評/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる