井上理恵の演劇時評

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zoom RSS 野田秀樹「THE BEE」(English Version)水天宮ピット2012,2,24〜3,11

<<   作成日時 : 2012/02/29 23:40   >>

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英語バージョン「THE BEE」を観た(2012年2月28日)

 野田秀樹は、本当にいい仕事をしている!  そんな舞台であった。(初演も台本も未見)

是非多くの方に英語版の舞台をみにいってもらいたい。久しぶりでロンドンの舞台を観た、そんな気がした。

日本は俳優たちが他者の集団や舞台をあまり見に行かないようだ。だから自己満足の舞台ばかりが並ぶのだろう。


 ニューヨーク・ロンドン・香港と巡演ツアーをしてきて、水天宮ピットへきたという。
ここは日本橋高校というところの跡で、どうやら大スタジオは校庭に作られた特設劇場のようだ。

 大阪は小学校の跡の劇場を使わせないけれど、東京は学校の建物を劇場にしている。これは素晴らしい・・!

 普通のサラリーマンが自宅に帰ると、警官が家を取り囲んでいる。脱獄犯が、家に立てこもり妻と6歳の息子を人質にしているという。目的は自分の愛する妻に会わせろということ。刑事はほとんど役に立たない。

 この舞台の面白いところは、立て籠もり犯を描くのではなく、人質にされた、いってみれば被害者をクローズアップしたことだ。

 そこで何が起こるのか・・…  俳優たちは4人。キャサリンは一役だが、他は二役三役する。これがまたいい。

 サラリーマンの夫井戸(キャサリン・ハンター)は、脱獄犯小古呂(グリン・プリチャード)の家に行き、妻(野田秀樹)と息子(グリン)を人質にする。警部百百山(マルチェロ・マーニ)は翻弄されるのみ。

 彼は、段々凶暴になる。暴力を与えた存在よりも、暴力を受けた存在の方が、ヒステリー状態で考えられないほどエスカレートする。そして互いに互いの家で、怒り、息子を痛めつけ、指を切り、食べ、妻と寝る(レイプ)。
それは次第に日常化し、恐れも罪の意識も無くなる。

 「暴力行為」が持つ恐ろしい現実をあぶり出す。井戸は段々感情も消えて仕事をするかのごとく日常を繰り返す。
 息子は手の指を切られて、4本目・・・し…死・・・・4本目が切り取られた後に死ぬ。

 妻は、初めは蓮っ葉だが、段々意志が無くなり日常を言われるままに繰り返し、表情は段々悲しみを抱きはじめる。

 男性の井戸が無表情になるのと対照的に女性は恐れと深い悲しみを抱き出して、指を切られて、彼女も死ぬ。

 

 井戸はidoと発音させる。が、これはito とも読める。意図・糸だ。

 小古呂はogoro というが、kokoro とも読める。 心だ。

 百百山はdodoyama だが、海千山千だろう。

 安直(あんちょく)という名前もあった。

 kokoro の妻と息子には名がない。

 男性中心社会の女と子供は、生きる場がないからだろう。〜〜〜の妻であり、〜〜〜の子供なのだ。

 暴力行為の行きつく最後の行為は、もちろん「戦争」だ。戦争は男たちが闘う。

 哀しむのは、犠牲になるのは、女たちと子供・・・・・

 女性のキャサリンが井戸を男性の野田が妻を演じているのが、とてもいい。
このドラマに枠を与えたようで、客観化にさらに拍車をかけた。

 外国の批評に、ファンタジイとかおとぎばなしとか、書いているものがあったが、これは現実で、おとぎ話ではない。わたくしたちに問いかけをしているのだ。もっといえば9・11以後の社会に問いかけている。アメリカに問いかけている。


 舞台の速いスピードとセリフ、そしてそれが弛緩して繰り返しになる・・・・・恐ろしいまでの時間と空間が広がった。

 上演時間はおよそ1時間半。みごとな舞台であった。イギリスチームのような俳優が日本にも出て来て欲しい。

野田秀樹は、見事な俳優になった。「アポロ、野獣降臨」を思い出してしまった。

日本語バージョンは、大丈夫なのだろうか・・…とふと思った・・・・頑張って欲しい…





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