井上理恵の演劇時評

アクセスカウンタ

zoom RSS 劇団民藝「炭鉱の絵描きたち」(リー・ホール作、丹野郁弓訳、兒玉庸策演出)

<<   作成日時 : 2016/06/19 12:26   >>

トラックバック 0 / コメント 0

「炭鉱の絵描きたち」を観た(2016年6月16日紀伊國屋サザンシアター)

 イギリスの炭坑夫たちの絵描きの集団! 

労働者の現実から生まれた絵が、どの様にして誕生し、集団が続いたかが、描出された。

初演は2007年のニューカッスルのライブ・シアターだという。

 1945年の敗戦後、日本にも自立演劇という労働者集団の演劇グループが生まれたことがある。
これは現在まで各地域のプロやアマの演劇集団の誕生に引き継がれているものだ。

 作者のリー・ホールは、プログラム『民藝の仲間』396号に寄稿した一文の中で
「文化は生活のためにある」「本当の芸術とは、コミュニティを巻き込んだ、もっと能動的なもの」
「特定個人の所有物ではなく」開かれたものであるはずだと言っている。

 特に絵画は、その歴史が特権階級の所有物であったから、なおさらだろう。
その点演劇は、異なる。庶民の中から生まれて来た芸術だから・・・・・・
それをいつも時の権力が奪い取って・・・・しまった。能(猿楽)がその好例だ。
でも庶民の中でも息づいていたから今も生きている。

 特権階級から奪い取って自分たちのものにした絵画。
そういう事でみると興味深い。
労働者の、それも炭坑夫たちの集団が教養を広めるということから始めた絵画教室・・・・!!!
これは、珍しく、話題になって、ニューカッスルからロンドンの舞台へと本国では歩んだらしい。

 実際に存在したアンシントン・グループをウイリアム・フィーヴァーが取材し、ルポルタージュにした。
原作は『イングランド炭坑町の画家たち〈アンシントン・グループ〉1934−1984』(乾由紀子訳みすず書房)

 これをリー・ホールが脚色して、舞台の時間は、1934年に始まり1947年まで・・・・

 民藝の20世紀半ば過ぎから90年代までに初舞台を踏んだ俳優と21世紀になって俳優になった若手二人とが、
面白い舞台を生み出した。

 炭坑夫たち―― 安田正利・杉本孝次・境賢一・横島亘・伊藤聡、そして和田啓作
 絵の教師――神敏将 、にわか上流階級ヘレン・サザランド――細川ひさよ、 モデル――新澤泉

 今少し、テンポが速ければよかったと思う場面も多々あったが、
身体がついて行かないのだろうから仕方がない。

 しかし俳優は各々が個性的で、体型も顔つきも声も異なり、近年の舞台のように形成美人や美男がいないことも良く、しゃべりも上手く動きもよくて舞台に深みが出ていた。
 
  炭鉱夫の絵を描くという非日常が、次第に日常と化していく様子が描出されていた。

 聞き洩らしたのかもしれないが、何故炭坑夫たちの教養を身に着ける行為が絵画であったのか、それがわからなかった。もしこれが脚本にないとすると、これは導入としてやはりまずい〜〜〜

 演劇でも音楽でも読書読解でも良かったはずなのに・・・・・なぜ絵画なのか・・・・

 安易に本やカードや写真で絵は鑑賞する、見ることが出来る、というただ一点であったのだろうか・・・・・
この辺りが知りたかった。


 イギリスの階級制は、他国の何処よりも明確に分離されている。
エリザベス女王は、宮殿入口で外出時に簡単にまじかに見ることが出来る。
が、その間に流れる川は幅があり深い。
    
   実際わたくしは、何度か遭遇した。

 何度もイギリスへ行ったが上流階級にはなかなかお目にかかれない。
一度領主の城に泊まったことがある。しかしこれは既に上流ではないだろう。選ぶとはいえ生活のために他人を泊めているのだから・・・・・。
       そこでおめにかかった若い奥様は、普通の人であった。

 下層階級から少しでも上に行くには、教育立身が一番早い道である。これは日本でも同じだ。

 この戯曲では神敏将が演じた美術教師のロバート・ライアンがそれに当たる。
彼は炭坑夫たちに画を教えながら自身のステータスを獲得するために彼らを題材にして美術教育の論文を書き大学教授になる。
  このあたりの炭坑夫とロバートとの関わり合いやロバートの逡巡が描かれていない。
   
    脚本に問題があるのだと推測する。
  
  単に非現実的な炭坑夫の絵をロバートが描き、オリヴァ―との対話で済まそうという脚本には疑問を感じた。

 炭坑夫の一人が、奥様の気まぐれで援助をするから絵を描くことに専念しろと誘われる。彼は悩む。
 境賢一が演じたオリヴァ―だ。  彼の悩みも一人心の中で解決して結果のみが奥様に告げられていた。
  このあたりもどうにもウエルメイドっぽい。

 この脚色者は、メジャーな作品の脚色をしているようで、その分ウエルメイドな作りになっているのだろう。
ところが演じるのは民藝の俳優だから、どうにも辛口でウエルメイドにはならない・・・・それがよかったのかもしれない。

  民藝は翻訳劇続きだが、一年間に舞台に上げる数は決まっているのだから、
    日本の創作劇(今は死語になった)をやってほしいと思う。
  
   日本の現代演劇のために・・・・・日本の劇作家の作品の上演を願わずにはいられない。

月別リンク

劇団民藝「炭鉱の絵描きたち」(リー・ホール作、丹野郁弓訳、兒玉庸策演出) 井上理恵の演劇時評/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる