井上理恵の演劇時評

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zoom RSS 国際演劇祭「ヘッダ」ノルウェー(イプセン原作、ユーニ・ダール演出、嶋野冷子台本翻訳)

<<   作成日時 : 2016/12/08 11:27   >>

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ノルウェーのユーニ・ダール演出・主演「Hedda Gabler」(ヘッダ・ガブラー)を観た(シアターχ、2016年11月30日)

 前回のイプセン演劇祭の時、
一人芝居「イプセンの女」を観て、すっかりユーニの演技に惹きつけられたことを思い出す。

 今回も同じく、ユーニのヘッダに魅了された! まさに唯一無二のイプセン女優といっていいだろう・・・・・

 登場人物は5人。当然にもセリフは必要なものだけ、登場人物も男三人女二人に絞られている。

 ユーニのヘッダ、ラース・オイノーのテスマン、ハウク・ハイエルダールのレェーヴボルグ、
  ビョルン・スカーゲスターの判事ブラック、ニーナ・ヴォックスホルドのエルブステード夫人

 毛利三弥によれば、ノルウエーでは、郊外の古い住居の中で初演したらしい。
   ということは当然にも観客は少ない。

 ユーニは、劇場空間ではない場所で、新たなイプセン戯曲の魅力を引き出そうとしているのかもしれない。

演出は、ユーニ・ダール、トニエ・ゴツカルクセン、そして俳優たち・・・だという。
つまりみんなで議論しながら作り上げた舞台だ。

特別に奇をてらったところはないが、
長い芝居を1時間少々でまとめ、十二分にヘッダ・ガブラーの世界を表現していたから、
やはり有能な演出で、表現は新しい、「現代によみがえるイプセン」と言っていいのだと思う。


 
シアターχは、可動式の劇場で、客席と舞台を同じ平面上に置くこともでき、客席数も自在に変えられる。

 今回は、同一平面上で客席を中央に集め、舞台の部分のフロアーの中ほどに天井から床までの木の枠を置く。

これはドアーと窓を意味した。

木枠から奥が外、手前がヘッダの家で、客席やロビー廊下へ出る扉も使用して、家の範囲を広くしていた。

 客は部屋の中に座っている感じになっていた。

 客電が消える前から俳優たちは木枠の外側で枯葉を撒いている。

 ユーニの演技はヘッダの心理的な動きも分かるもので、
その点においては、近年はやりの心理描写を外してただセリフを並べるものではなく、正統派の演技だった。

 それが実に素晴らしく、

ヘッダの裡に抱えるいらだち・怒り・哀しみ・絶望・そしてジェラシー・・・・等々が

短時間の舞台に表現されていて、観客を魅了する。

   彼女を超えるヘッダは当分出ないだろう・・・と思わざるを得ない。

 外国集団の舞台を観ると、
いつも感じるのは、女性は素晴らしいのだが、どうにも男性は、今一という点だった。

 柄や見た目・・・などで押し通すところが多々あるからだ・・・・

 どうやら今回もその例にもれず、残念な部分もあった。

が、日本の現在の演劇状況のように、
若い男優がもてはやされ、ただやみくもにセリフをまくしたてる俳優たちではもちろんなく、

それなりの経験を積んだ男優が、人生の影を抱えて、それぞれを演じていた。
が、少々物足りなかったということだ。

 やはり芝居は経験を積まないと、いい俳優にはなれない・・・・。

 ノルウエーで、ユーニ・ダールのイプセンが見てみたいと思った。

  ☆     ☆

 日本の俳優でヘッダを出すとすると、どういうメンバーなら可能かと考えてしまった。

 演出家が見当たらないのだが…

 やはり大空祐飛にやらせてみたい・・・・男優は、岸祐二・吉原光夫・加藤雅也がいい・・・・!!???

 岸と吉原は、壮一帆がイギリスの作家アラン・エイクボーン「扉の向こう側」に主演して、それを観た時に
いい俳優だと感じたからだ。

 加藤の舞台は観たことがないが、この男優三人は、大空に対抗できる北欧の外国人になれると思うからだ。

 「ヘッダ・ガブラー」は、日本には決して登場しない世界である。

しかし裡に抱えるものは資本主義社会が未発達の状況下で、起こりうるものである・・・・・

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