井上理恵の演劇時評

アクセスカウンタ

zoom RSS コクーン 大竹しのぶの「フェードル」(ラシーヌ作、岩切正一郎訳、栗山民也演出)

<<   作成日時 : 2017/04/13 10:54   >>

トラックバック 0 / コメント 0

大竹しのぶ・平岳大・今井清隆出演「フェードル」を観た(2017年4月9日)

 もともとあまり期待をしていたわけではないが、二時間二〇分(10分だったか?)の舞台は、まず品位がなくてがっかり

 「フェードル」は、女優なら一度は挑戦してみたい役である。しかし大竹は格調とか品位とか・・・・そういうものが出せない俳優であるように思う。

 しかも訳も良くない。この戯曲の訳は、これまでも難しく好い訳がないと言われていた。
ずいぶん昔に二宮フサ訳の「フェードル」が素晴らしいと評判になった。

 格調高く、セリフにしても〈口の端〉にのりやすい名訳であったからだ。

フランス古典劇の上演は難しい。
シェークスピアのように破天荒な古典であれば、現代的に演じられ、演出家も俳優も好きに冒険ができる。

が、フランス古典劇はそれが不可能な戯曲であるから・・・・・難しい・・・・・


演出家は、この戯曲の登場人物の年齢設定をどのようにしていたのか、まずそれが疑問だった。

フェードル(大竹しのぶ)は、20代終わりか、どんなにいっても30だ。
夫のテゼ(今井清隆)は、40代半ばか、50前。
アマゾンの女王とテゼの息子イポリート(平岳大)は、20代初めか、半ば。
アリシー(門脇麦)は、10代のおわり。

 だからこそのフェードルのイポリートへの恋が始まるのだ。

 フェードルの乳母エノーヌ(キムラ緑子)は、50位。テラメーヌ(谷田歩)も同様だ。

 これらの登場人物の関係性が、年齢によって表現されるのだが、

エノーヌのキムラは、セリフはいいのだが若すぎて、
フェードルが老けすぎているから友人のようでせっかくのセリフが浮いていた。

 テラメーヌは若すぎて、説得力がなく、テゼは年を取りすぎていて。白髪白鬚には、ビックリした・・・・


 フェードルのセリフに、自身について、「あたし」「わたし」と、大竹は発話していた。
フランス語なら、「ジュ」でも、日本語は階級的な言語であるから自分を表する語が、沢山ある。

 やはり「あたし」はよくないだろう。自分を表現する語が日本語は一番難しい・・・・・

 登場する演者のセリフ術が整っていないし、テンデンバラバラで見苦しい・・・・聞き苦しい・・・・

 イポリートの平は、随分とセリフが言えるようになった。
一番この芝居にかなっていたと思ったが、若々しさに欠ける。残念だ・・・


 アリシーは、言語道断。清純さが出ていない・・・・


 最後の場面のフェードルが死んだあと、
テゼが玉座にかかっていた長い布(これは王位を象徴するのか?)を
無造作にフェードルに掛けるのも、いただけない。

 この行為は、フェードルを侮辱するものである。テゼは、フェードルを侮辱しないはずだ。

フェードルは、最後にたしか〈ピューレテ〉と言って死んだと思う。
この語ですべてが清められるというのではなかったか?

 栗山は、ジャン・ルイ・バローのコメディー・フランセーズで上演した「フェードル」の演出ノートをみていないのだろうか・・・・?  画期的と言われた演出だ・・・・・

 ただの不倫とか、年上女の年下男への恋とか・・・・そういうレベルで上演するなら・・・・
フランス古典劇は上演しないほうがいい・・・・
 
 随分前、フランスのカンパニーが来て「フェードル」を上演した舞台を、忘れていたのに・・・・思い出した!
あれにも驚いたが、まだあの方がずっと理にかなっていた・・・・


 大竹しのぶは、様々な役に挑むことができる女優の頂点にいるようだ。
次は「欲望という名の電車」をやるらしい・・・これも女優がやりたい芝居だ・・・・

 どんな役に挑んでもいいが、
いつも同じにならないように・・・・頑張ってほしいと思う。

月別リンク

コクーン 大竹しのぶの「フェードル」(ラシーヌ作、岩切正一郎訳、栗山民也演出) 井上理恵の演劇時評/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる