井上理恵の演劇時評

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zoom RSS 新国立の「城塞」(安部公房作・上村聡史演出)&劇団民藝「送り火」(ナガイヒデミ作・児玉庸策演出)

<<   作成日時 : 2017/04/20 15:20   >>

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新国立「城塞」と劇団民藝「送り火」を観た(2017年4月19日、マチネ&ソワレ)

 偶然だが、ともに「戦争」を扱った舞台を観ることになって、二作の是非が浮かび上がってしまった。

「戦争」は、いかなる場合でもいかなる国でも、国民一人一人にそれぞれの悲劇の源となる!

前者は、言ってみれば武器商人(戦争成金)の戦争責任、
後者は国家と国民(軍国主義を進めた存在)の戦争責任と言っていいのかもしれない。

安部公房の「城塞」


 新国立のチラシに次のような一文が出ている。

〈日本近代演劇の礎となった3つの名作を連続上演する、シリーズ「かさなる視点―日本戯曲の力―」。第二弾は、安部公房による意欲作『城塞』をお贈りします。〉

「城塞」は1962年に発表されたという。「砂の女」と同じ年だ。

 新国立は「日本近代演劇」をどのように規定しているのか・・・・・すくなくとも安部公房は、近代演劇ではなく現代演劇にあたらしい扉を開いた作家であったと思う。

 前回の三島由紀夫の「白蟻」も散々のできてあった。
前回の「白蟻」や今回の「城塞」が、「日本近代演劇の礎」になった作品だとは、どうしても思われないし、しかし同時に現代演劇の扉を開いた作品でもない。


 「城塞」の上演は初めて見た。そして残念ながらこの戯曲はよんでいなかった。

今回見る限りで、写実的というかオーソドックスなドラマ構造を持つ作品で、その意味では日本の新劇が1935年以降作りあげてきた〈リアリズム演劇〉の系列の上に存在するもので、むしろ礎から生まれたものだろう。

 戦争責任問題を、戦後(アメリカ軍の占領後)扱った作品と言えば、久保栄の「日本の気象」(1953年)がある。
これこそが、まさに近代演劇の礎を築いてきた作家の作品で、これらの表現を否定することから現代演劇が始まるのだ。何故これを上演しなかったのか、疑問に思う。

 さて、「城塞」(台本・プログラム未見)

 戦争成金の父(辻萬長)は、戦中満州と思しき地で財をなし、日本が負けたとわかってすぐに日本に向かう時点で、うまくいかず過去に閉じこもる病になったらしい。

以来10年余、おそらく1962年が現在時間。 
広い屋敷の一室の地下に父は戦時同様に閉じこもり執事(たかお鷹)が世話をしていた。
 
 この一族は、息子和彦(山西惇)が、戦中同様に戦後戦争に使用する銃などの原料を所有していて、更に会社を巨大にし、朝鮮戦争でまた、財をなしたらしい。

執事は、狂っている主人が正気になる或る時、引き上げ時の一場面を和彦と共に何年も再現してきた。

 いわゆる再現ゲームを何年も続けていたのだ。これは一種のお遊びだったのだろう。
息子にとっては、狂った父とまともに話ができる時間であった・・・・・

 引き揚げ時にどうやら母と妹を捨ててきたらしい〜〜〜(このあたり不明)
兄の和彦はどうやら妹となにやらあったらしい・・・???  妻がそれをあばくが・・・・? (この辺りも不明) 

 いつもはこれまでは妹役を和彦の妻…奥様(椿 真由美)が演じていたが、ばかげた振る舞いに嫌気がさして、
妻が断ったために、ストリップ・ガール(松岡依都美)を金で雇う。

 和彦役の山西は、セリフを大声で怒鳴りすぎでよくない。この芝居を生かすも殺すも彼しだいだ。

 最後の「破局」は、父親の正気に戻るサイクルに疑問を感じた和彦が執事の故意の芝居作りだったことを暴露し、父親の心の殻を破ろうとする。その契機がストリップ嬢の一言・・・・だというのだから・・・どうにもできすている。

 つまり変わらぬ日常に、外部からの侵入者が飛び込んでくることにより、その均衡が壊れて新たな局面になるという構成のドラマだ・・・・・・

 武器商人の戦争責任を問うのなら、演出はその点を今少し強調しなければならなかっただろう・・・・


 さて、民藝の「送り火」

 これはナガイヒデミの新作。愛媛の今治(タオルで有名)出身のナガイが、お盆の送り火の風習から作品を作ったという。

 送り火は、近年は見かけなくなったが、わたくしの生家(東京)でも長い間やっていた。
カワラケを置いてその中におがらをいれ、火をつけて煙をあげた。〈迎え火と送り火〉をたいたのだ。

 この芝居は、声高に叫ぶことはなかったが、なんとも〈やるせない舞台〉で、
主人公照(日色ともゑ)の悲しみや愛らしさが伝わってくる。

 戦争は、普通の生活者の日常を壊し、人々の心をゆがめ、不幸を呼び込む。

穏やかな日常に〈鬼〉が忍んで襲い、未来を奪う。

それが、この芝居では戦争だった。

 いつもはのんびりしすぎて、疲れてしまう民藝の俳優たちの演技も、今回は引き込まれる。
今治の山の中の普通の生活人の不幸を〈淡々〉と描出することで、深い悲しみを手渡してくれ、
同時に戦争という〈凶器〉〈狂気〉の大きな〈罪悪〉を暴き出したからだ。

まさに日本のリアリズム演劇を第一線で担ってきた劇団民藝の俳優たちの演技する舞台なのだ・・・・と思わされた。

 日色ともゑの穏やかなセリフと演技が、舞台空間を満たし、
塩田泰久・安田正利・仙北谷和子・船坂博子たちがそれを加速させた。

 これから混迷極まる現代を題材にする劇作家ナガイヒデミの今後に期待したい
 

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