井上理恵の演劇時評

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zoom RSS 大空ゆうひ主演「カントリー」(M・クリンプ作、高田曜子訳、M・ローゼンブラット演出)

<<   作成日時 : 2017/07/14 09:59   >>

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「THE COUNTRY」を観る(2017年7月13日マチネ ゴーチ・ブラザーズ制作 DDD青山クロスシアター)

サイコサスペンスか、と思えるような謎の多い洒落た対話劇、久々のイギリス風舞台であった・・・・

狭い空間を上手に生かして、三方が客席。舞台の高さは最前列の目線少し下・・・、舞台を囲む四方の床は廊下あるいはキッチン・シャワー室・外へ通じる空間などの役回りをする通路。

この高さの中に小道具類が入り、最後の場のしつらえに上手に利用していた。


場所はイギリスの田舎、カントリー。周りには何もない。穀物倉庫とたしか映し出されていた(台本未見)。
時間はある日の夜中の何時間かとその二か月後、一時間半強のテンポのいい舞台が展開する。

さすがイギリスの演出家の作品らしい。対話のテンポが実によく、主人公コリン(大空ゆうひ)と夫の医師リチャード(伊達暁)が、演出に応えていい演技をしている。

これが日本の演出家だと、おそらくこの上演時間内ではおさまらないだろうと舞台をみていて思った。
あたかも日本の気象の如き湿度の多いねっとりした舞台づくりが好きな日本人だから、
俳優たちも要らぬ思い入れをして、軽く対話を交わせないから・・・。

とはいえ今回の医師の妻役の大空や夫の医師役伊達が、役の心理を表現していないというのではない。
二人は驚くほど絶妙であった。細かい演技をしながら、テンポよくセリフを交わし、観客をサイコドラマに引き込む。

 穀物倉庫を住居に改良した家に住む二人と子供たち。この日はどうやら子供は友人に預けているらしい。
コリンは精神的に揺らいでいるようだ。夜中にハサミで紙を切っている。

 この導入が実によかった。

 夫のコリンは、どうやら道で若い女を拾ってきて別の部屋で寝かせている。コリンはそれを問いただす。
この女・・・・リチャードが関係した女らしい。

 二人の対話がちぐはぐで、おろおろするリチャードは、まともにこたえられない。

 若い女レベッカ(南沢奈央・・・・・今少しセリフを叫ばず、動きもあやふやではないとよかったのだが、少々残念)は、歴史を学ぶ学生らしい。ラテン語で話したいとか言っていたようだから、哲学史? 

 17歳の時、つまり高校生の時にリチャードに診察と称していたずらをされた。以来関係が続いている様子。

 田舎の路地で拾ったというが、リチャードが殺そうとしたのか、あるいは彼女が自殺したのか、不明。

 リチャードはかなり熱心に二人の関係を糊塗し、慌てる。

 つまりこの男性は二人の女の間――妻と愛人――であたふたしている。しかし妻も愛人も捨てることはできない。
関係の修復に一生懸命・・・・

 コリンは、どうやら夫のいたずら(ロリコン?)は、初めてではなさそうで、悩んでいる。
それで精神が壊れそう。哀しみを抱えているのが、大空の描出する舞台から醸し出されていて、凄いと思った!
しかもべったりした演技ではなくて、あくまでもサラッとしているのがいい・・・・

 大空は、これまでこの国に登場したことのない女優になる可能性が、ますます大になってきた。

  先が楽しみだ


 翻訳の言葉で疑問が一つ。

コリンがレベッカに話すとき、主人とリチャードのことを呼んでいるのが違和感。
一応翻訳劇なのだから、そこは「彼」とか「リチャード」とか呼ぶのがいい。

 今頃の若い妻は、ノー天気な人が多いせいか、どういうわけか「主人」と夫を呼びたがる。
が、もう少し上の世代は、あえて「主人」とはいわない。もっと上は連れ合いとかいう。

 すべてが外国の話であるから成り立つ芝居なのだから・・・日本風の呼び方はやめた方がいい。
これはこの芝居に限らず、日本の翻訳者は一般的世間に迎合しているのか、忖度しているのかよく使う。
   
   おかしなことだ。


 さて、二か月後の最後の場で、リチャードがいそいそと舞台をしつらえている。
次の場で何かあるのかな? 関係が修復したのか?
 
この男優にも驚く。阿佐ヶ谷スパイダーズにこんな俳優がいたのか・・・・・と・・・・

 この日は、コリンの誕生日だったか(?)で、リチャードはいそいそと準備している。
関係の修復を図ろうとしているのが手に取るように明らかだ・・・・
彼がコリンにプレゼントをする。

なんとハイヒールだ!!! 田舎に住んでいる人に、”ハイヒール”

 コリンは言う。こういうのが好きなの? つまり高いハイヒールを履いて歩く女がすきなのか?

 二人の関係は行き違ったまま…・・コリンはここでも期待が裏切られたことを知る。

男たちは、着飾り、高いハイヒールを履いて、(走ることもできないという意味)男に手を取られて歩く女。

もう少し言えば自由を失った女が好き!!

 コリンはこの家から夜中に遠くへドライブして、岩場に・・・・路地に・・・・あの若い女が寝ていたところに行った話を続ける。ゴツゴツした岩のあるところ・・・・

 二人の関係はこのままつづくのか。

 コリンは友人から「偽りの愛」を表現しながら生きていくことを進められているというようなことを話す。

 初めの場面にあった二人のセリフを、再度交わしながら・・・・舞台は暗転・・・・・
  
 あたかも、これからも繰り返して生きていくかのように・・・・・・・


 これは現実だ。
世界中の多くの男女関係、夫婦関係は、「偽りの愛」を生きざるを得なくて、その関係の中に生きている。


       怖い話だ・・・・・


   この二人がどうなるのかは・・・・・この先わからない・・・・

  さて、みなさんは・・・・・どうするの・・・・?
   
〈愛〉って、本当にあるのだろうか・・・・  永遠につづく愛って・・・・・ある???  


 
 わたくしたちの国は、言葉を大事にしない。言葉に鈍感だ。

だからあいまいなままに「共謀罪」なども許してしまい、しかし我が身を守る「忖度」には敏感。

   まことにみっともないことだ・・・・

 
 そういう国で、特別な劇的なことが起こらない対話劇は(実は非常に恐ろしいことが起こっているのだが)、

   なかなか育たず理解されにくい。

 それは、人々が「考えること」を嫌うからだ。

     黙って受け入れることを由とする、怖い国柄。

 こんな状況になっても、受け入れるのだから、対話も議論も舞台で、育たない。


 まがまがしい「劇的」状況のみに夢中になる。

      演劇は「社会を映す鏡」だ。

冷静に考えることが普通になるような舞台が増え、世の中が変わってくることを願わずにはいられない。

 多くの人にこの狭い劇場に行ってもらい、

  自分の生き方を、考えるよすがになるといいと思う・・・・・・



大仰な何世紀も前の他国の革命に夢中になり、うつつを抜かし、
革命のなんたらも深く考えることもない製作者と客。
 
客がくればいいとミュージカルばかりを企画する製作者、
俳優たちは歌い踊り、同じようなものを大舞台に上げている演劇的現実、

こんな状況だから、無理だろう・・・・・・が・・・



 ☆ いい舞台であった!!! ☆
  




























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