井上理恵の演劇時評

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zoom RSS 八月納涼歌舞伎猿之助・染五郎・勘九郎・彌十郎の第二部

<<   作成日時 : 2017/08/18 11:14   >>

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歌舞伎座納涼歌舞伎第二部を観た(2017年8月17日)

 猿之助の壮大なお遊び!!!!
宝塚同様、こちらも歌舞伎ドタバタサスペンス活劇,しかもバックステージものというおまけも付く一幕が呼び物。

 夏の歌舞伎座に行ったのは、岡本綺堂の「修善寺物語」をやっていたからである。
野田秀樹の新作第三部も観たかったが、チケットが取れなかった。

 「修善寺物語」は、1911年5月二代目市川左団次が明治座で初演した。
  初出は『文藝倶楽部』同年1月号。

 修善寺で殺された源頼家にヒントを得て面打ちの名人夜叉王の芸術家魂を描出した戯曲だ
左団次が生み出した新歌舞伎と呼称された舞台。

つまり近代劇を歌舞伎風に上演するというようなもの。
そういうことだからセリフは、黙阿弥歌舞伎の七五調でやってはいけない作品だ。
(今回の登場人物でそんな風にセリフを発している役者がいた。)

 昔、猿之助の夜叉王を見た記憶がある。
今回は猿翁監修だから、たぶん昔見たものと同じ演出のはずだが・・・・・
さらに論理的近代的になっていたように感じた。歌舞伎も生きている芸能だからこの方がいいのである。


 わたくしが編集し、研究会編で出した『20世紀の戯曲』(社会評論社1998年))という三冊本がある。

自分で作ったからいうのもなんだが、これはいろいろなことがわかる貴重な本だ。
戯曲でわからないときは参照されるといい。事典ではないから、戯曲の神髄が分かる。

これに二階堂邦彦が「修善寺物語」について書いているから、そこから簡略化して引くと・・・・。

岡本綺堂が修善寺で古い寺にある「頼家の面」をみた。
面は、この地の修禅寺という寺にある。
頼家は源頼朝の息子で二代将軍だったが、北条氏によって修善寺に幽閉され暗殺された。
彼は美しい女を側女に置き、彼女は頼家が打たれた夜に、囲みを抜けて逃げたというこの地の伝説がある。
ここから、この戯曲ができた!!


夜叉王(坂東彌十郎)という面作師の一家を考えだす。
姉娘桂(猿之助)と妹娘楓(坂東新悟)その夫の面作師春彦(坂東巳之助)。
そして面を依頼した頼家(中村勘九郎)。頼家と桂の出会い。 
頼家の暗殺・・・・・という具合だ。


名人夜叉王が何度面を打っても死んだ顔、恨みを含んだ眼にしかならない頼家の面。
それで打っては壊し、打っては壊しを繰り返す。
しびれを切らした頼家が訪れる。
以前一度会っていた桂は、頼家にあこがれていた。既に出来ていた面を見せると頼家は喜ぶ。
一度会っていた桂に再度出会い、側女にしたいと申し出る。
桂は貴人とかかわりを持つことを願っている娘だったから、願いが叶ったと喜ぶ。

このような筋で、最後はし歴史通りに殺されるのだが、
問題は夜叉王だ。

彼は、頼家の死を知って、自分の腕の凄さを喜ぶのである。
何度打っても死が浮かんだのは、頼家の顔に死相が出ていたからで、それを描き出すことができたと!!!
傷ついて死にそうな桂の顔を、断末魔の顔を、写生する・・・・・幕

こうして歌舞伎ではない近代劇が出来上がった。
彌十郎は、そうした芸術家魂を上手に描出していた。


 歌舞伎座捕物帖

狐忠信を中に挟んで、いつもは舞台で演じない役者たちに、役をやらせて猿之助と染五郎は弥次さん喜多さんで
裏方のアルバイトという今風な設定。仕掛けの大道具を見せたり、殺人事件を見せたり、謎解きがらみでドタバタと・・・・おまけに宙乗りの行きと帰りが付く。


 隣席の壮年夫婦は、「修善寺物語」のときは、イヤホーンガイドをつけながら眠っていたが、
この大騒ぎ舞台に大喜び、大笑い,拍手喝采だった・・・・

いつもは閑散の観客席も大入り満員。

  これから先の歌舞伎は、大変だ・・・・・!!

 第三部

見ることが出来なかったが、野田秀樹が、新聞紙上で、安吾の「桜の森」は南北だと話していた。
そして台本を七五調で書いたとも言っていた。
南北は、七五調ではないだろうに・・・・・
そんなことで、見たかったのだが・・・・・  

テレビ中継があるらしく、この日はカメラが数台はいっていた。いずれみることができるだろう・・・・

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