井上理恵の演劇時評

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zoom RSS セルゲイ・ポルーニン「ダンサー Dancer」

<<   作成日時 : 2017/08/20 17:05   >>

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セルゲイの「ダンサー」を観る(2017年8月19日新宿シネマカリテ)

 UチューブのTake me to CHARCH が始まって以来の視聴者の数だという。
簡単に見ることができるから是非、一見を・・・・

 映画はドキュメンタリータッチで、現在時間と過去とが行き交う。

 ウクライナの片田舎に生れたセルゲイは、母の英才教育に導かれて、
ロンドンのロイヤル・バレー団のプリンシパルにまで行き着く。

 しかし古典バレーの決まった動きとレパートリーに悩み、苦悩する・・・・・

 ロシアのニジンスキーのようだ。画面を見ながら、宝塚の早霧せいなが演じたニジンスキーが重なった。


 そして辞める。自由を求めて羽ばたこうとする!

 新たな道・・・・彼はアメリカに行きたかったようだが、何処も彼を受け入れない・・・・・


 ニジンスキーのいたロシアが、彼を受け入れる。

そこでは新しい舞台を演じたが、それでも彼の心は満たされない。自由がほしい・・・・・

 家族総出でセルゲイのバレー人世を支えた事への負い目・・・・・

天才は、家族の犠牲の上に出来上がるという、何だかあったようななかったような話だが・・・・・
違う。

 家族は喜んで才能ある存在を生かそうとしたのだから、それは家族にとって喜びであったのだ。
彼のせいで両親の離婚や家族の出稼ぎがあった。
家族がバラバラになったのは自分の所為だ。

 それが、彼を悩ました。家族とは何なのか…いつも一緒にいるのが家族か・・??

 一般的な人世を送りたいと、全てを捨てる。引退を決意して、Take me to Charch を踊る!

普通の人は、普通の人生ではない、何かを求めてあたふたするのに
天才は、普通の人生をしてみたい・・・・・とは・・・・・!!!!

 それは無理だ…・・セルゲイにとって、バレーを踊ることが、普通の人生なのだから・・・・

普通の人生というものは、実はない。個々人一人一人が別の生き方をしているのだ。

外見は似ているようで、内実は異なる。

誰もが他者の生き方をうらやみ真似る必要はないのだ。

個々に生きてこその「自由」なのだから・・・・・

 バレーのない日常は自分にはないのだと、彼は気付く。

 そしてロシアバレー団に、戻って特別の時間を貰う。


 卓越した身体と技量と感性を持つセルゲイのバレーは、素晴らしい・・・・・

 ニジンスキーは、早すぎた登場によって世間でなかなか受け入れらずに精神を病んでしまった。

しかしセルゲイは、可能な限りの時間を、自由を得て、これからも飛び立つことだろう・・・・

未来に夢を見続けてほしい・・・・・ 人は、死が訪れる迄、未来があるのだから・・・・・

 是非、多くの人に見て貰いたい。自由とは何なのか、生きるとは何なのかを感じ、考えるために・・・・


  ☆     ☆     ☆

セルゲイは、今年来日し、東京芸術大学のイベントに参加した時、こんなことを言ったそうだ!!!

〈最後に、自身のゴールを問われると「世界を一つにすることがアーティストの仕事だと思うのです。このことに気付くのに何年もかかってしまいましたが、地球上に人間がいて、家族があって、愛があって、国や文化が違っても基本的には同じこと。国境はいらないと思います」と穏やかな口調で語った。〉

 なんと素敵な芸術家だろうか・・・・・

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