井上理恵の演劇時評

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zoom RSS 桐朋学園芸術短期大学演劇専攻修了公演「港町ちぎれ雲」(福田善之作・演出)

<<   作成日時 : 2018/01/28 16:32   >>

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二専攻合同公演・演劇専攻修了公演「港町ちぎれ雲」を観る(2018年1月27日せんがわ劇場)

専攻科演劇専修49期生の修了公演に音楽専攻の学生たちや演劇専攻の学生たちが参加した公演。

学生たちの歌も踊りも演技も溌溂としていて、ロマンと権力批判とがうごめく和製ミュージカル。
題材は古い時代劇だが、現代的で上質な出来であった。


「権力者・あるいは支配者とはいかなる存在か」 を、清水港の次郎長と森の石松という実在の任侠一家を
モデルにして描出。

次郎長に関する事実をところどころ入れながら、
福田善之は自由に弱小任侠集団の右往左往振りをみせる。(台本未見)

清水次郎長は、幕末から明治維新を経て1896年まで実在した人物だ。

講談でその義侠心がほめそやされて伝播し、映画で何度も制作されてきた。

今の若者たちは清水一家のことをどのくらい知っているかは、不明だが、
おそらく殆んどしらないのではないかと思う。

しかしこうした集団がすぐ隣の県に居て、権力者に振り回されていたという事実、
それは遠い話ではなく、実はわたくしたちにもありうることなのだと、それとなく知らせる。

明治維新という近代国家を生み出した闘い・・・・その歴史的事実に何が潜んでいたのか、
下級士族が天皇と公家をだき込み、徳川幕府の一強集団に闘争を挑んだ闘い、あるいは革命の真の姿は、
どんなものだったのか・・・・それを語っている。

長(次郎長・・・松田健太郎)・石(石松・・・石川湖太朗)・お蝶(小黒沙耶)たちの日常と思惑、
子之吉(田口準)、八五郎(山本祐路)とお花(西村優子)法印(秋谷翔音)、丑松(望月肇)たちの対応、
いわゆる権力者ではない存在…弱者の側から浮かび出るものは何か…を問う。

彼らに絡む大任侠集団や上級武士(田谷淳)、下級武士(遠藤広太)たちは、
まさに臨機応変、弱肉強食を第一として、自由も平等も、すべてがその視点の下にある。
常に対応が変化する。

観客たちに、あなたの対応はどうなのですか・・・と問うように・・・・

さてさて、強いものが勝つ・・・・それでいいのだろうか・・・???  長は、迷う、凡庸な大衆の如く。

疑問をもったのは、幼いころから〈バカバカ〉といわれ続けてきた石・・・・
その彼が、強いものが勝ったら弱いものはどうなるの・・・??・・・・・と問う。

彼は素朴な疑問を投げかけて‥‥観客の疑問を代弁する。

子守女(遠藤真結子)も石と同じような役割を果たす。

結局、強者が作り出す政権は、累々と続く屍の上に初めて可能になったのだとわかる。

明治維新しかり、太平洋戦争しかり・・・・・その後も相変わらずそれが続く・・・・

石とお蝶が心中の如き最後で死ぬのだが、その後に二羽の蝶々が連れ舞の如く客席に消える場は、歌舞伎や踊りの〈蝶の道行き〉を洒落たのだろうか・・・・


女浪曲師(藤見花)が、初めから終わりまで、所々で登場してつなぎの役目をはたしていてよかった。

コーラスたちもダンスも音楽も今風で、これの初演が16年前とは思えない。

卒業する学生たちは、各自が見事に自分の役割を果たし、頑張っていて光る。

助演する専攻科の一年生も音楽専攻の一年・二年生も
高度な技術で舞台を引き立たせていた。


演者は他に卒業生の亀井奈緒、音楽専攻の鈴木彩水、染谷美寿々、
そして演劇の一年生たち・・・皆チームワーク良く、踊ったり歌ったり・・・・舞台を華やかにしている。

ヴァイオリンの橋本知歩、

ピアノ演奏:林:絵里  三味線演奏:本條秀英二

卒業生たちの未来が明るく照らされるように願っている・・・・

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