井上理恵の演劇時評

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zoom RSS 文学座アトリエ「最後の炎」(デーア・ローアー作、新野守広訳、生田みゆき演出)

<<   作成日時 : 2018/04/17 18:47   >>

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ドイツの新作「最後の炎」をアトリエで観た(2018年4月16日信濃町文学座)

 また、ドイツ、また新野訳‥‥…! これが正直な初感想!!

バイエルン生れの女性デーア・ローアーは、1964年生まれというから50代半ば。
永井愛や渡辺えりより年下で、飯島早苗や植田景子と相前後してほゞ同期・・・・・
(日本演劇協会発行『演劇年鑑』より)

ローアーは、『文学座通信』によると
1992年に劇作家デビューして、翌年演劇雑誌の「年間最優秀新人劇作家」に選ばれ、ドイツ語圏ミュールハイム市演劇祭で「タトゥー」がゲーテ賞!
98年には劇作家賞、2006年にはブレヒト賞!!  
2009年にベルリン文学賞、2017年にヨーゼフ・ブライトバッハ賞等々軒並み受賞・・・・!

(ドイツにはずいぶんたくさん賞があるのだと、驚く!)

ブレヒトの社会演劇を後継する現代劇作家と目されて、世界各国で翻訳上演されているとか・・・・・

それで遅ればせながらの日本初演‥…という事だ。

「誰もが目を背ける現代社会の現実を容赦なく描く、ドイツ現代演劇を代表する劇作家」

チラシから筋を引くと
 紛争地域からの帰還兵がある町にやってきたところに、
パトカーの追跡を振り切ろうと一台の自動車が猛スピードで通りかかった。
たまたま道でサッカーをしていた子供が驚いて飛び出し、彼の目の前でパトカーにはねられてしまう。
事故死した子の家族、パトカーを運転していた女性警官、追跡を振り切った後自宅に引きこもる青年、
青年に車を貸していた元教師、自分の爪を削り続ける男・・・・。
ひとつの死によって人々の日常生活は静かに結びついていく。
耐えきれない現実の痛みをやさしさで消し去ろうと絡み合う、無名の人々の愛の物語。・・・・という内容!

事故死の子の家族の老母は認知症で、子の母が世話をしているが家を出る。残された子の父は自分の母を殺す。
子の母は、帰還兵とかかわりを持つ・・・????
引きこもっていた青年は、事件を起こす? 
元教師は乳がんで・・・・・・・

戯曲は未見でよくわからないが、登場人物は中央の盆の上で演技する。(作者の指定なのか、演出の独自のものか、不明)

このしつらえられた盆の上には一本の木(葉はない・・・・ゴドーみたい・・・)があるだけ。
盆は、右回り、左回りと場面により変わる。恐らく過去と現在或いは未来???を表現しているのかもしれない。
過去を話すときは時計が逆に回り、現在の時は時計回りなのだろう・・・・

セリフは、淡々とト書きを読むようになったり、リアリズムで感情を籠めたり、セリフの内容により異なる。
どうやらト書きもセリフとして説明していたようだ。

この方法が、如何にも新しく見えるようだが、何だか技巧的過ぎて嘘っぽい・・・・・
ヨーロッパ人たちは、こういう技巧が好みだから・・・・喜ばれるのであろうが・・・・
筋を引いたように、それなら自然主義的にやってみたらいいんじゃないかと思った。
そうすると、何だかこの戯曲の「技巧的なまがまがしさな」が浮上するのではないかと・・・・・

どこがどう「現代社会の現実」なのか、それがどう「愛の物語」なのか、・・・・全然見えてこない。

わたくしたち日本国の現代社会は、このようなものでは描出できない。
もういい加減外国物はやめたほうがいい・・・・

日本国は、当の昔にこわれて、みせかけの安定とみせかけの平和とみせかけの社会保障、みせかえの安全で
固められている。

現実の日本国を描出するには、日本に生きている劇作家が、声を上げて書き、俳優はそれを演じ、観客に伝えなければならないのではないかと、外国産の翻訳劇を観るたびに思う。

どうにかしないと、日本の演劇も見せかけだけのものになってしまう・・・・・それが恐ろしい


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