井上理恵の演劇時評

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zoom RSS 宝塚 宙組真風涼帆お披露目公演「天は赤い河のほとり」(篠原千絵原作、小柳奈穂子脚本・演出)

<<   作成日時 : 2018/05/14 07:42   >>

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真風涼帆のお披露目公演「天は赤い河のほとり」を観る(2018年5月13日東京宝塚劇場)
(下に加筆有・・・・5月15日)

 このところ宝塚は不発が続く。 
先月の月組も日本の小説の脚色物で悲惨な舞台であったし、今回は人気漫画の脚色でこれも「王家の紋章」張りの作品で、うんざりするほど面白くない。

 ポスターは妙に美しく仕上がっていたが、作品自体の内容が浅く、しかもおっとり型で大人の魅力を醸し出す真風には、全く合わない役回り、お披露目なのに気の毒としか言いようがない。
 真風の相手の役には不釣り合いの子供っぽい娘役にあわせた選択かと勘繰りたくなるほどであった。

 他者の追随を許さないほど芹香斗亜は優しい役のよく似合うスターなのに、無理に野蛮な振る舞いの役でこれもお気の毒。

 愛月ひかるに至っては、演技力も付き美しさは群を抜き輝いているスターなのに役不足で、これもお気の毒。

 この宙組は、力のあるスターが他にも沢山いるにもかかわらず、目に付く役は純矢ちとせの王妃ぐらい。
この公演で退団する元月組・現専科のスター星条海斗に至っては、個性が発揮できない静かで耐える役・・・・

 客席を埋めているそれぞれのファンたちはどう思っているのだろうかと、思ってしまう。
何度も足を運ぶファンたちこそこのような作品を見せられて気の毒だ!

 漫画のファンがいるから客を呼べると考えているとしたら、それは違う。大人の鑑賞に耐える作品をみたい。

 困ると、「エリザベート」や「ファントム」、「ロミ・ジュリ」「ミー&マイガール」の外国産では、足が遠のく。
宝塚の存在理由がなくなる。日本の演劇集団なのだから・・・・

 貸し切りが多すぎて普通の客はチケットが買えず、ファンたちも舞台を見られない・・・・・
友の会に入ってもチケットが当たる率がほとんどない・・・・・

 好きで見に来る客は団体客ではない。団体客はリピーターにはならないことを知っているくせに貸し切りを多く入れるのは、おかしい・・・・

 いいものを出せば、客は來る。つくづく残念に思っている。

 さて、ロマンチック・レビュー「シトラスの風」(岡田敬二作・演出)

 宙組誕生の時のショーである。好く出来ている。
特に今回新たに作った場面という寿つかさが老いたダンサーになった場面が秀逸であった!!

 芝居の方で力を出せなかったスターたちが、ノビノビと踊り歌い楽し気に演じているのが印象的であった。

 出し物の企画には、スターの持つ固有な魅力を出せる作品を選んで欲しいと思う。
女性ばかりの稀有な集団の舞台は、可能性が無限に開かれているのだから・・・・。
男性の発想では、芸術は枯渇する・・・・・
他の商業演劇とは異なる視点を持つことが必要なのではないだろうか・・・・。

新しい作家の登場と魅力的なスターの登場を期待したい。☆彡

   〈加筆・・・・・5月15日〉

 愛読者が、もう少し説明してほしいというので・・・・・加筆する。

 「王家の紋章」に似たシチュエーションであることは、誰もが言うことだ。

私たちの国には芸能において「影響の不安」(ハロルド・ブルーム)という欧州の詩人たちを襲った恐怖はない。
過去の芸術作品から様々なヒントを得て新たな自己の作品を生み出してきたという歴史がある。

 それでは今回のこの舞台にどのような新しさがあったかということになると、それが見えない。(原作は未見)

 例えば、純矢ちとせの王妃も澄輝さやとの王妃も、戦争で負けて勝者の国に連れてこられて敵の妃となり、子をんだ。・・・・・これはギリシャ悲劇以来の話でどこにでもあったこと。戦争状態には常につきものだ。

 それを批判する視点は、王妃たちの発言にはあるが、具体的にはギリシャ悲劇の範囲を超えていない。

 それでは戦争を批判するのかというとそうでは無く、和平工作もせず戦い、家来たちは指揮官になりたいと争い合って無駄死・・・・・あまりにも呆気なく、芸がない。

 隣接する国と闘うのだが、それも互いの国の指導者たちの良心というか正義というか、そういうものから和平に行き着く。

凜城きらが説明役をしなくてはならない、そうしないと話がつながらないのだ。戦争がなぜ起こるのか、どのような状況かもあいまい・・・・・

その上、これは最大の欠点・・・・・全編通じてセリフに詩がない・・・・・これでは劇作品として終わっている。

 和平への結節点となるのが、現代から来た少女という事だが・・・・この辺りの変化もおざなりの人情噺だ。

(この少女というのが、純潔ないけにえになる女の子という発想でイフェジェニーに繋がる‥‥これもギリシャ悲劇)。

 どこかからやって来た存在・・・それは土着の世界に生きる人々にで変革させる新たな視点を与えたり、別の世界を知らせる役目を持つもので、これも古来からの芸能につきものだ・・・・・

 が、この現代の少女は純粋とか正義とか、つまらぬ言説を自分で口にするのみで大きな変革を生み出す存在とはなっていない。演者が一本調子で下手だという事とは関係なく・・・・・

 しかも自分の持つ未来の世界に帰らず、〈愛〉という抽象的な不確かなものに寄りかかって居残る。
これも人情噺の域をでていない。おざなり・・・・の結末。

 
 ドラマというのは、初めの状態から何かに出会って自己変革が起こることをいう。個々の人々に状況の変化はあってもだれ一人自己変革が起こらない。・・・・・・何よりも主役の真風演じる王子に変革が起こらない・・・・

駄作といわざるを得ない所以だ。

 それでつまらない・・・・わたくしと同行した宝塚大好き人間の友人も、眠っていた・・・・・

 さすがの脚色の名手小柳奈穂子も、困ったのだろう・・・・・と推測した。

 もう、漫画を脚色するのはよした方がいいと結論した次第だ・・・・・

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