井上理恵の演劇時評

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zoom RSS 俳優座「首のないカマキリ」(横山拓也脚本、眞鍋卓嗣演出、清水直子・岩崎加根子他出演)

<<   作成日時 : 2018/05/20 08:05   >>

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俳優座の稽古場公演「首のないカマキリ」を観る(2018年5月19日 俳優座5階稽古場)

 かったるい風俗劇であった!  平成流ウエル・メイド・プレイ!

「脚本」を書いた横山拓也の作品は、初めて見た。

どこかで見たような芝居だと思いながら、平田オリザに似ているとか、岸田國士に似ているとか、そんな感じを受けながら舞台の進展を観た。 

その印象は、演出と出演者の平成流風俗的表現が更に加速させた。(台本未見)

出演者は・・・
森坂美幸・・・清水直子 夫大介・・・塩山誠司  大介の母・・・岩崎加根子  大介の弟晴輝…志村史人
大介と美幸の上の娘理絵・・・保亜美  下の娘奈緒・・・後藤佑里奈  
美幸の亡き母の弟安西靖史・・・伊東達広  理絵の婚約者鳥野圭司・・・小泉将臣
理絵の幼馴染ミハナの母・・・安藤みどり  奈緒の担任教師・・・斎藤隆介


 今朝、ネットでこの作家の iaku のホームページを見て、舞台の印象が理解できた。
そこには次のように記されていた。

「作風は、アンタッチャブルな題材を小気味良い関西弁口語のセリフで描き、他人の議論・口論・口喧嘩を覗き見するような会話劇で、ストレートプレイの形態をとる。

「鋭い観察眼と綿密な取材を元に、人間や題材を多面的に捉える作劇を心がけている。他人の口論をエンタテインメントに仕上げるセリフ劇や、ある社会問題を架空の土地の文化や因習に置き換えて人間ドラマとして立ち上げる作品を発表している。」

 つまりこういうことだ。

 一見社会問題を取り上げているように見えながら、現在の社会が抱えている問題のある部分を取り入れてはいるものの、しかしそれは登場人物の身辺に起こったこと〈雑記〉でしかない。

さらにはその対応は、登場人物の自己肯定でしかないこと。
まさに今生きている人々の恐ろしい現実的な姿があるのだが、それを批判する作家の目がない。
これが残念なところだ。

その結果・・・・ここには壊すものが、変革がない、飛躍がない・・・・作品に仕上がった。

つまり自分と直接関係のある社会的事柄にのみ固執した行動であって、そこに自己満足しその枠組みを決して超えない登場人物。風俗劇の枠組みを出ないのである。

こういうのをウエル・メイド・プレイというのである。

一見いい人たちの集まりであるように見えるが、さてさて・・・・好い人とは何であろうか・・・・?
いい人達は、実は存在しないのではないか・・・?  

よく考えると口ではいうが、深くは考えない人達がここにはいて、自己満足人間ばかりの集団になっていた。
これも怖いのである。

 
 岸田國士に似ていると感じたが、これは似て非なる芝居でもある。

それは、ここにあるのは岸田が否定した「平凡な会話」が並ぶからだ。

「平凡な会話」、
それは「自然なる」がゆえによしとされたところに危険が潜んでいると記した、まさにそれがここにあった。
岸田は口を酸っぱくして言っていた。「劇的対話」が劇の求めるものであると・・・・・・

 わたくしたちの生きる社会は、今危機にさらされている。
自己の身辺に起きる問題のみに捉われていてはダメなのである。

30代40代の若い世代がその殻を上塗りするような芝居を作っているのが残念だ。

観客の何人かが、「いい芝居だったわね」と語っているのを聞いた。
人情劇・風俗劇であるから、簡単に受け入れられて「いい芝居」になる。
親切な人が、「いい人」ねと言われるのと同様だ・・・・・ヤレヤレ・・・・

今後の作品で、「脚本」に向かう姿勢・視点を変えてみてはどうだろうか・・・
現在の姿勢・視点で行くなら、作品は何本でも次々書けるはずだ。
が、それではこの作家は風俗作家で終わる。

全国展開しているというから、なおの事、新たな作風の登場を期待したい。
風俗劇はどこでも受け入れられる。しかしそれでは新しい風は起こらないのだから・・・・・!

 

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