井上理恵の演劇時評

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zoom RSS 文学座「怪談 牡丹燈籠」(円朝原作、大西信行脚本、鵜山仁演出、富沢亜古・早坂直家他出演)

<<   作成日時 : 2018/05/30 06:07   >>

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「怪談 牡丹燈籠」を観た(2018年5月29日紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA)

 1974年に文学座が初演した円朝の名作怪談を初めて観た!

今回は、装置や照明が新しくなって写実味を消し、舞台展開に歌舞伎で出てくる黒子が活躍してこの世の話ならぬあの世とこの世の間、虚と実の隙間に生れた噺という趣向にみえた。

 好く出来ている。
円朝の話とは少々異なるらしい。大西独自の特徴だと矢野誠一が指摘している(プログラムより)

 円朝(大原康裕)が高座に登場して噺が始まる。
最後に明治の世の中になって怪談話はもうだめか、と語る円朝が登場、
そこに明治に新たに日本社会に現れた紳士(官員さんか?)夫妻に会って、怪談話を続けていくという決意・・・・

 そして又、噺がはじめに戻る・・・・・循環するという趣向と観た。

 矢野は、大西作は「『怪談』のレッテルに固執することなく、市井のごく平凡な夫婦伴蔵・お峰が、幽霊の手助けをすることで大金を手にした結果、人生を狂わしてしまう人間の弱さ、哀しさに焦点をあてたドラマに仕立て上げたことで、圓朝の原作を凌駕してみせた」と書いた。

 今回の舞台は俳優たちがあまり灰汁が強くなく、さらりと演じていたせいで別の視点が見えた。

 浪人萩原新三郎(采澤靖起)の借家に安価で住まわせてもらっている貧しい伴蔵(早坂直家)とお峰(富沢亜古)夫婦が、新三郎に恋こがれて死んだ娘お露(永宝千晶)と乳母お米(富沢の二役)の頼みを聞いて幽霊除けのお札をとる代わりに百両の金を要求する。

 お札を取り除いたために新三郎はお露と共にあの世へ行く。それを悔やんでいる伴蔵とお峰。

 他方でお露の父旗本飯島平左衛門(石川武)の妾お国(岡寛恵)は、若い恋人源次郎(沢田冬樹)と生きて行きたくて平左衛門を殺す。源次郎は平左衛門の槍で足を射抜かれる。

 二組の男女が、栗橋で出会う。
伴蔵夫婦は、百両を元手に荒物商として成功した。
他方の足の悪い源次郎とお国は、茶屋で働くお国の稼ぎで生きているという惨めさ。

そしてお国目当てに茶屋に通う伴蔵に妻のお峰がやきもちを焼き、古なじみの大工の女房お六(つかもと景子)と出会って、過去が現前化する。

 結局、小心者の悪事は、内心の罪の意識から身の破滅を招くという結末・・・・

 幕末が舞台になっている噺だが、江戸期は庶民・大衆をコントロールする名言が実に多い。
〈分相応〉〈身の程を知れ〉〈因果応報〉等々・・・・

 こうして庶民を操っていたのかと、思った次第。反対に巨悪は決して潰れないとも思う。

しかし「恋焦がれて死ぬ」とは、何と奥ゆかしく可愛いことか・・・
あるいはまた、若い男と一緒になりたくて、ダンナを殺すとは、何と可愛い・・・・

 そんなに絶対視するような男はいないのに・・・・ 

そういえば「恋は盲目」という言葉もあった・・・・!

ここには他者を所有したいという思想が流れている。
この人しかいないという絶対視する思想が流れている。

しかし人は他者を所有できない・・・・男も女も同様だ・・・・みんな勘違いをしている・・・・


 ドラマは、所有の概念で起こるのだろうか・・・・

・・・・・男がほしい・女が欲しい、金が欲しい、権力が欲しい、国が欲しい・・・・・

それよりも・・・自由が欲しい、平和が欲しい、人権が欲しい、豊かな自然が欲しい・・・そんな〈欲しい〉がいい・・・


 舞台を観て、それからわたくしたちの国の現在の在りようを見ると、〈因果応報〉は嘘だと思ってしまう。

〈嘘は蔓延する〉と誰かが言っていた・・・・おそろしい・・・こちらの方が円朝の怪談よりもっと怖い。
「現代の怪談」は、最も怖い。かわいい所がないから・・・・・

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