井上理恵の演劇時評

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zoom RSS 文学座スペイン演劇「モロッコの甘く危険な香り」田尻陽一監修、サントス作、古屋雄一郎訳、西本由香演出

<<   作成日時 : 2018/07/03 11:09   >>

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ホセ・ルイス・アロンソ・デ・サントス作、西本由香演出、「モロッコの甘く危険な香り」(木場允視・柴田美波・宮澤和之・内堀律子他出演)を観た(2018年6月30日文学座新モリヤビル1F)

セットは写実、登場する俳優たちの演技も写実、芝居の中身も写実、
文学座の若い俳優たちは、巧みにサントスの描出する1985年のフランコ政権崩壊後の貧困と富裕の谷間に生きる現代っ子の世界を演じていた。いささかウエットであったが・・・・(これが残念・・・)乾きが欲しい〜〜

 上手だ・・・・・が、しかし・・・・これでいいのか‥‥という問いが残る。乾きが欲しい〜〜

(何日か前に見た劇団民藝の老人芝居よりはずっといいには違いないが・・・・・テレビ出身の作家の作品はダメなのだ・・・・民藝は若い俳優が沢山いるのに、飼い殺しは無残だ・・・・!)

 この芝居はやはり風俗劇だ。
久保栄流に言えば、日常の些事に拘りながらディテールスを巧みに表現して、
1985年のマドリードに生きる若者を描き出すことに成功しているが、
裏側に存在する社会の闇・政治への不信が、軽いのだ・・・・・だからこれは、もしかしてアメリカ、あるいは・・・?? と言っても通用するような、そんな若者たちがいたのである。


 しかし戯曲が巧みだ。恐ろしい程に、ヨーロッパの劇作家は力がある。
現代スペイン・リアリズム演劇でヨーローロッパの王道を行く戯曲の作り、実に上手な作家だ。
(数日前にみた悪い芝居の「グッドバイ」の酷い脚色を思い出すと、日本の劇作家の貧困さ加減にうんざりする)


 『現代スペイン演劇選集』(田尻陽一監修)を頂いていたことを思い出して書斎をさがす。(これに一苦労)


 田尻が引いているロレンソ・ロペス・サンチョの劇評によれば、
 「若い偉大な作家の見事な卒業試験」というタイトルで、以下の書き出し、「素材は街から、人生から、直接集められている。ブルジョア的秩序には目もくれないドロップアウトした数人の若者が気の向くままに生きて働き、弱い麻薬を売買し、マドリードのどこにでもある貧相なアパートで無政府主義者のコンミューンを形成し様々な問題に首を突っ込む。」
 最後に、「『モロッコ下がり』(原作の原題)は実に様々な意味にとれる多義的なタイトルだが、本作は只の風俗喜劇には到底おさまらない大きな作品であり、ユーモアと愛の道を通じて力強い直接的なリアリズムをおしみなくふんだんに提供する力がある若い作家の新しい演劇の証である」

 もう一人、テグレンの評は、タイトルが[帰ってきた風俗喜劇」
  「スペイン演劇に絶えず見られる力線の延長であると同時に切断である。力線とはすなわち風俗喜劇、強い社会的圧力を受ける民衆と貧者の芝居だ。切断は自由という別のモラルの形態に見られる。・・・」

 この作品上演時1985年、劇作家アロンソ・デ・サントスは、43歳・・・・何と若い!
こんな戯曲を書いてしまうとは・・・・そしてサントスは今、マドリード演劇高等専門学校の教授。きっといい劇作家を育てているのだろうと推測する。

 外国の翻訳劇を上演することは、明治以来の日本演劇界の伝統的な行為であるが、1928年以降、日本の創作劇の上演は1965年まで、確実に続いていた。

そして、その後は「新劇」を壊すべく、新しい戯曲や表現が登場することになるけれど…結局、基礎的な劇作法を習得せずに、壊した形ばかり生み出してきたから・・・・行き詰まったのだろう・・・・

 劇作家の出現は、上演がなくては不可能だ・・・・
外国翻訳劇をやるか、さもなくばわかったような分からないような、下手な「不条理劇」まがいの作の上演にうんざりする現実を、どうしたら打開出来るかと、いつも思う。

 新国立は、世田谷パブリックは、神奈川芸術劇場は、・・・いつまで翻訳劇をやりつづけるのだろうか・・・・

 日本政治経済はアメリカに従属し、日本文化はアメリカミュージカルとヨーロッパ翻訳劇に従属
・・・・・国家の滅亡は、やはり近い、やはり‥…近い・・・・・   

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