井上理恵の演劇時評

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zoom RSS 「革命伝説・宮本研の劇世界」の・・・正木喜勝の書評について

<<   作成日時 : 2018/07/03 21:37   >>

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日本演劇学会の紀要66号にわたくしたちの研究会が上梓した『革命伝説・宮本研の劇世界』(社会評論社2017年)の書評が出た。

 日本近代演劇史研究会は、日本演劇学会の分科会で、これまで日本近代演劇の研究書を何冊も上梓してきた集団である。にもかかわらずあまり書評に取り上げてもらえなかったので、今回の書評欄への登場は、ありがたいことである。が・・・・意図は分かってもらえなかったようだ。

 書評とは、対象とする本に内在し、新たな視点を発見し、それをどう評価するかを検討する。無いものねだりをせず、評者固有の前提は二の次にする論評なのではないかと、わたくしは考えている。すくなくともわたくしは、これまでそうして他者の書評に向かってきた。

 (が、多くの書評は発見しようとせず無いものねだりが、常に多い。それが残念。)

 今回のわたくしたちの宮本研研究の特徴は、宮本研作品へアプローチを、作品ごとに全て異なる形で論文を作成したことだ。戯曲研究には、さまざまなアプローチが可能であることを立証したつもりでいるが、それには気づかれなかった・・・・評者は、普遍的な論の展開を希望されているように見受けられた。普遍的な研究はあり得ない、とわたくしは思うのだが・・・・

 つまり、戯曲研究は、劇評をあさり、上演時代別の劇評を引き、先行研究を踏まえ、あるいは批判し、それらをもとに作品にアプローチするという定番の、わたくしにいわせれば、あたらしい固有のアプローチを阻害する方法を、極力避けたのが、今回のやりかたであった。
もちろん、こうしたことは、あとがきにもいれていない。読めばわかることだったはずだからだ・・・・が、そうでは無かった。

 評者がそこに気づかなかったのは、わたくしたちの提出の方法が良くなかったのか・・・。

無いものねだりの批判・・・・

@岸田戯曲賞を受賞した「日本人民共和国」と「メカニズム作戦」が抜けているのは解せない、…(これがなくとも初期戯曲の分析があるから、かまわないと判断した・・・)

Aラジオドラマ・映画脚本・脚色物台本などが抜けている。「広義の「劇世界」にはまだ奥行きが残されている・・
 (脚色物は、入れてみたかったが、基本的なアプローチの姿勢は、変わらないことが理解されてパスした)

B宮本研の劇世界の変化、あるいは根底にある不変なものを見通すことが出来れば一層よいが、はたしてどうか・・・・ これに対する結論は記されていないから「根底にある不変なもの」は見いだせなかったらしい。
(宮本研の核は「反権力」以外ない・・・・これで十分だとおもう。それがみいだせなかったというのだろうか・・)

C当該戯曲の自律的な価値を見出すことを優先して・・(これも)宮本の戯曲史を見通すパースペクティブが提出されていない。
  (宮本の戯曲史・・・?)

D『宮本研戯曲全集』全六巻の総括的解説に触れてないこと、「批判するにせよ発展させるにせよ、それとの関係があまり見えてこないのはどういうわけだろう。先行する言説を整理するような章がそれこそ序章として設けられてもよかったのではないかと、全集を通読してから本書に臨む者はそう思うに違いない。
  (先行論は、議論では語り合った・・・今後必要と思う研究者が自己の論評の中でやればいいのではないか)
 

 結果、評者は「一冊を読み終えて・・・各筆者が検証している言説の多くが同時代に生み出された劇評だという点…・本書の中では批判にさらされるものも多いが、その批判自体を可能にする土台、つまり戯曲研究を発展させる基礎は最初の劇評によって作り出されたという感が強い。」
 ここから「もし現在本当に劇評の媒体が縮小しているのだとしたら、それは将来の戯曲研究の可能性も狭めていることになるのだろうか。」

・・・という殆んど、考えてもいなかった結論に到達している!!!  これには驚いた。

わたくしたちは「最初の劇評によって」戯曲研究の基礎など、おいてはいない。
どこにそのような論が存在していたのか、指摘してほしいと思うくらいだ・・・・・・・・・驚く。

 わたくしたちは、一本の戯曲が発表された時期、演者、集団、それこそが最も重要であると考えている。
が、見ていない作品の演技には触れられないし、劇評の是非も判断できにくい。
ましてや再演になれば、またあらゆる事情は変化する。
これは演劇という「今を生きる」芸術の特権であり、研究の難しいところだ。

発表という時期が過ぎれば、全て「戯曲を読み直す」という視点を導入することになり、そうした戯曲研究ではかならずしも劇評を取り上げなくてもいいのである。

21世紀の〈今〉、研究主体であるわたくしたちが、理解し判断できる基準でしか、研究はできないからだ。

個別研究をする事で、総体としての宮本研という劇作家の文学的演劇的営為が浮上することを願っていた。
同時にこれまでの研究姿勢で戯曲に向かわないという前提もあった。

したがって各論では各自研究主体は様々なアプローチを試みて対象にむかってみたのだが・・・・・・
そうした新しいこころみは、目に留まらなかったようだ・・・・。

結局、正木氏には、総体としての宮本研の劇世界は浮上せず、わたくしたちの意図は受け取ってもらえなかった。

非常に残念なことである。


 


  

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