井上理恵の演劇時評

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zoom RSS 新国立劇場「消えていくなら朝」(蓬莱竜太作・宮田慶子演出・鈴木浩介出演)

<<   作成日時 : 2018/07/26 08:35   >>

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新国立の「消えていくなら朝」を観た(2018年7月25日マチネ、The Pit)


 とてもいい舞台であった! 宮田慶子は最後を飾った・・・

今年一番、永井愛の「ザ・空気2」と双璧だ!・・・・

 これは家族の話である。

大体家族の話というと、上っ面の砂糖水というかサッカリンの水のような舞台が多いから期待しないで行った。
が、ここには今の日本人が形成している家族の典型が描出されていた・・・・・これには驚いた‥‥

類型はあるが時代の典型はなかなか描けないものだから・・・・。


 ☆家族とは、最も近くにいる最も遠い他者だと考えている。☆


日本人は近しい他者と議論して、批判し合い互いを高め合うことを嫌う人種のようで、
特に近年は〈褒める〉ことがもてはやされている。

血族があるから、性的関係があるから、なんでも分かり合え、甘えも、侮辱も、ゆるしあえるはず、
そんな思い込みの前提の上に成り立っているのが、日本の家族だ・・・・。
仲良し家族が最高だというまがまがしさ・・・・!


仲良し家族であろうはずがない。
にもかかわらず、一人一人がそれを演じている現実がある。

それに耐えられなくて、外でそれを癒す。宗教・パチンコ(この芝居ではガチャガチャ)・仕事・趣味・・・

それが鈴木啓介演じる次男の定男(作家)が、父と母の暮らす羽田の家に5年振りで帰郷、
一人一人の家族が抱えていた、〈我慢していたもの〉 が、噴出する。

 そんな姿が、みごとに舞台上に展開していた。


 ドラマの構成としては、一つの集団に外から入ってきた存在によって今まで保たれていた均衡が壊れるという古典的なドラマつくりの手法で、最近のドラマは偶然に左右されるいい加減なものが多いから、
その点でもこの戯曲はきちんと骨太に作られていていい。


わたくしは、律義に 〈存在は意識を決定する〉 と思っている。

だから生きる場所の異なる家族の意識は、異なっているのだ。
〈甘え・侮辱・許し〉を前提にしてはいけないのである。 

家族は…聖家族(親子姉妹兄弟)・性家族(夫と妻)・・・で成り立っていると昔、書いたことがある。

・・・・生きる場の異なる家族という他者の、人権・尊厳を認めなければならない・・・・・
  それが欠けると亀裂が起きる。

 定男のセリフに「人権・尊厳」という言説を聴いたとき、蓬莱竜太は、いい劇作家になったと思った。

 もう一つ、「仕事・労働」 についての発言もあった。

仕事・労働には、いろいろな種類がある。生きるために人は働く。

現在の社会体制では、人が時間で〈仕事・労働〉を売り、賃金を得て生活をする。
それが一番わかりやすい〈仕事・労働〉の理解だ。

それが、気に入った仕事かいやいややる仕事かは、別の問題だ。しかし多くは一緒にして考える。

他方で、多くの時間をかけるが、賃金にはならない〈行為〉 もある。
成果が金銭と交換する・・・売れる時もあれば売れないときもある。
そういうのは未来への投資ということになるのかもしれない。

 長男(山中崇)が代弁しているが、自分を基準に何でも考えてはいけないことを、舞台は告げていた。

鈴木浩介が 

僕の家族も離れて暮らしてますから。たまに会うと、触れて来なかったことが一気に放出しちゃって大喧嘩になる(笑)。どの家族でもあると思うんですよね。

と新国立のサイトで語っていた。

が、大喧嘩になるのは、とても素晴らしい家族で、どの家族でもあることではない。多くは、お茶を濁して生活している。

 だから国の事も世界の事も、自分のこととして考えられない日本人が出来上がっていくのだと思う。


父親(高橋長英)も母親(梅沢昌代)も一人娘(高野志穂)も、そして女優(吉野美沙)も、思いのたけを口にして、
これからどうなるか・・・

それは観客に問い返されているのだから・・・・手渡されたものを、わたくしたちは受け取って、自らの事として考えなければならないだろう・・・・

いい舞台であった!  是非新国立へ・・・・一見を薦める・・・

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